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■ 迷い道が 自分の人生   伊藤 栄二(秋田市)2025. 3.27

 テレビを観ていると、番組の間に流れるCMがやたらとうるさく感じ、リモコンに手を伸ばして音量を下げることが多い。妻からは、「音が頭にガンガン響くのでしょう。それは高齢になった証拠だよ。」と言われる。高齢になったのは事実だが、うるさいCMが多いのも確かだ。さらに、サプリメント関係のCMも目に付き、ターゲットにされているんだなと納得してしまう。
 そんなこんなで、最近は生の番組を見るよりも、録画した放送を手動でリモコン操作し、CMを早送りで見ることが多くなった。時間の短縮にもなり、とてもよいことだと思っている(スポンサー企業さん、ごめんなさい)。
 ここまでテレビCMのことをワルモノのように書いてしまったが、実は感銘を受けたものもいくつかあり、そのうちの一つを紹介したい。次のCMは、みなさんも記憶のどこかに残っているのではないだろうか。

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 近道は、遠回り
 急ぐほどに
 足をとられる

 始まりと終わりを
 直線で結べない道が
 この世にはあります

 迷った道が
 私の道です

(二階堂酒造CM.Library 2008年
 「消えた足跡」篇 より)
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 酒造メーカーのCMである。郷愁を誘う映像と、味わい深いナレーションが強く心に残っている。人は誰でも、早く良い結果を得たいと急ぎがちだが、たやすく進むことは稀である。急ぐほどに「足をとられる」ことが多い。人にはそれぞれの人生があり、これまで歩んできた道、これから進む道は、なかなか直線にはならない。それは、紆余曲折に満ちた人生の「迷い道」なのである。
 歩んできた道は後戻りができず、前へ進む道も、一歩踏み出せばそれはすぐさま「歩んできた道」となり、人生そのものとなる。
 どんな道であったとしても、それが自分の人生なのだと思う。

(秋田県教育協会会報第95号 令和6年9月1日)へ寄稿